書くことの意義
やっとの思いで、つれづれnishijin 最終区画の募集が始まりました。
今までは、お金の計算(要は自転車操業)や肉体労働(要はDIY多数)や職人さんの段取り(要は分業して工事費削減)など現場サイドと経理の仕事ばかりしていました。
でもこれから私は、もう少し俯瞰しながら社会との接点をもっと持って、このつれづれnishijinの舵取りをしていかなくてはいけない仕事にシフトしつつあります。
この5年の間に、子どもが生まれ私の世界は、世界観は一変しました。
TVは子供達に占拠され、家事と育児と仕事に追いやられて、ふと立ち止まる時間もありませんでした。(まあ、今もそうなんだけど。。。)
この5年の出来事を落ち着いてFacebookなどのSNSに投稿する暇もなく、社会との情報が寸断されたなかで、舵取り?
いやいやいやいや。
出来るわけないやん!って感じでした。
でも現実として
私の頭の中や時間の多くはこの仕事の事でいっぱいで、この事が生活の一部なのです。
だから、少しづつこうやって感じたことを自分の頭の中を整理して、自分が想像している未来に近づけるよう「書く事」を初めて見ようと思いました。
知らない間にInstagramの機能がいっぱい増え、ストーリーの使い方まだわかっていません。
みんなのように写真を上手く素敵に撮る技術もありません。
なんなら未だに「映え」の定義や意味すら分かっていません。
でもやっぱり最後は 見て 聞いて 話して 触れて 感じて。
そこで感じた感覚に勝るものはないと信じています。
だからこそ、
色々なところに行って、いろんな人と話して 感じて。
私の思った事と供に、これからのつれづれnishijinについて
少しづつ書いていこうと思います。
2024.3.5
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